轍っちゃんのブログ

読み方は轍と書いて“てつ”です。
好きなものは地上の乗り物全般、と言いつつも航空ショー行ってみたりする助平な奴。
さらにラジオを良く聞き、たまに舞台も見に行き、一日中歩き回ったり、東方プロジェクトにも手を出すなどと体一つでは限界を感じる今日この頃。
更新頻度は……ん?更新するのか?
それは誰も分からない。

はじめまして はじめました


私、齢34を迎えて初めてのブログと相成りました。


理由は、”なんとなく”なので続けるのかも分かりませんがよろしくお願いします。



さて何から書こうかと。


とりあえず自己紹介として自分の所持物で気に入っているものを紹介すると、始めはなんだかんだで七年ほど所持しているバイクから


GPZ250R

伊豆の辺り


不人気車として発売から1~2年でモデルチェンジされるという不遇なバイクである。


理由は当時のトレンドから外れに外れたコンセプトで完全にそっぽを向かれてしまったからだ。


そもそもGPZといえば900ccでNINJYAのペットネームを持ち、映画に出て人気が出たGPZ900Rを筆頭に様々な排気量が発売されたが、そのどれもが900Rの重厚な形をとっていたのに250ccだけはヒョロっとしたひ弱な形をしていたのである。


鳩サブレ”と揶揄されるそのスタイルと、カタログに載っている宇宙服みたいなのを着た人を見てドン引きしたり、気筒が大正義だった頃に気筒という物足りなさと規制いっぱいの45馬力ではなく43馬力なのが性能第一主義が沢山いた時代には受け入れられなかったのである。

鳩サブレ~

あまりの数の少なさに東方で言う”幻想入り”するかと思われたが、まさかのバイク漫画”ばくおん”に出演することに!(まぁ、ディスられてるんだけども)。


今から見るとそんなに変な形ではなく、一つ前のNinja250Rと大きくは変わらないように見えるが、実はこのNinja250RとGPZ250Rは同じEX250系のエンジンだったりするのだ。(インジェクションとキャブレータなどの違いがあるが)


そもそもこのEX250の水冷パラレルツインエンジンはGPZ250Rが始祖なのである。


こんなに売れなかったモデルのエンジンが25年以上発売され続けたのはやっぱり性能が良かったからなのだろう。


事実、GPZ250Rの後継車のGPX250R以降売れ続けたわけで。


そんな珍車がなんで自分のもとに来たのかというと、安かったから


ヤフオクで6万円で落札という激安で入手したからである。


埼玉県富士見市まで引き取り、自分で名義変更して手に入れた愛車はそれまで乗っていたスズキ ジェベル200とは別物の楽しさを持っていた。

ぶれてるけどまぁ…


パワーはジェベルよりはあるがそんなに高くなく、サスペンションもスカスカだったのだが操るのが楽しいのだ。


とはいえ16インチホイールでは限界があった。仕事帰りに急ブレーキを掛けて転倒したことをきっかけに17インチ化に向かうことになる。


事故の後、後輪をスイングアームごと後継車のZZR250に付け替え、そして今から3年前にフロントフォークをZZR250、ホイールをバリオスに変更して17インチ化が完了した。
その効果はてきめんで、安定感がすごく出て滑り出す挙動がほとんど無くなって不安が解消した。


さらに燃費にもこだわってバイクには意味無いとも言われるアーシングや内圧バルブでクランクケースの圧力を下げたり、イグニッションコイルに行く所の電圧を上げて火花を強くし、確実に爆発できるようにしたりして今ではリッター30キロくらいで走っている(買った当初はリッター24キロだった)。

フロント17インチで一番良いのがこれ。おっかしーなぁもっとあると思うんだけどなぁ


そんなカスタムをしたから愛情が芽生えたのか、愛情があったからカスタムをしたのかはわからないがお気に入りの一台であるのは間違いないのだ。


最近では新潟まで行き日本海をコイツに見せてやった。明日は山梨行くぞ~。




と、その前に次の更新は今日走った自転車ロードレーサーでの話になると思われ…る?